コラム

「人の死」を身近なものへ

全国各地で火葬場の移転先がなかなか見つからなくて困っているという話をききます。葬儀会館の建設反対運動はもうどこにでもある話になってきました。近隣住民が署名活動などをして反対運動をしているなど、地域の人々には歓迎されない施設となっています。
本当に嘆かわしいことですね。
「人の死」という誰でも1回は経験することを自分の身の回りから遠ざけよう遠ざけようとしている現在のこういった運動は戦後の日本のゆがんだ教育の中から出てきているんでしょう。

今や施設内死亡が90%近くになり、葬儀は特定の場所で行なわれるようになり、日常の生活空間の中から「人の死」がどんどんと消えて行ってしまっています。私たちが子供のころには通学路のいろんなところで葬儀が行われており、「ここの家の人は死んだんだ」「いつか自分の家族も死ぬんだ」「そしていつか自分も死ぬんだ」と考えさせられる機会がたくさんありました。
今ではほぼ絶滅してしまったと言ってもいい葬儀の代名詞だった宮型霊柩車も町のいたるころで見かけて、そのたびに親指を隠していました。

いつの時代からこんなおかしな権利をかざすことがまかり通るようになってしまったのか?他人の死を気持ち悪い的な感覚でとらえるようになってしまったのか?
それは毎朝仏壇に手を合わせてご先祖様に感謝するという当たり前の日常習慣が消えていく歴史の中にあると思います。
また「お盆」と言っても特段お墓参りをするわけでもなく単なる大型連休だととらえて海外旅行に出かけてしまったりする行為が当たり前のように報じられる時代になってからだと思います。

こういった宗教心の無い、ご先祖様への感謝の気持ちの無い生活をしていると、それが子へそして孫へと引き継がれて一族のこれから先に闇を落としかねません。
近所に火葬場ができたり葬儀会館ができたりすれば「人は必ず死ぬ」「自分は生かされている」「目に見えないものにキチンと感謝しなければいけない」という心が子供の中に生まれる絶好のチャンスであると言えると思います。

まあとにかくもうすぐお盆です。お墓参り等ご先祖様に感謝する時間を子や孫と共有することは非常に重要なのでぜひとも考えていただきたいものです。

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