コラム

お墓参りから得るもの

9月23日は秋分の日です。
この日は「お墓参りの日」と決められて5年ぐらいになります。
私は終活の講演の中で「先祖供養とお墓参り」とか「お墓参りの仕方」などのお話をさせていただきます。
40年近く前にこの業界に入って「人の死=肉体と魂の分離」と教えられて以降、その魂の存在や供養の仕方について、またそもそも「供養とは?」などいうことを真剣に考えてきました。
少年院を慰問するとその子供たちに「お墓参りをしたり、仏壇に手を合わせたことがありますか?」と質問をしてみるとそのほとんどいや全員が「ノー」の答えを出すことがわかっています。
目には見えないものに感謝することを教えてもらってこなかった子供たちは考えが粗野になり、大切なことを持ち合わせていないことがよくわかります。

2009年ごろから今でいう「終活」に取り組み、2011年に「老い支度練習帖」を上梓させてもらった時にはそういう「供養の心」を養ったり「魂は生き続けるので死は恐れることではないよ」ということを学んでもらったり、「次の世代に残していかなくてはいけないのは財産ではなく考え方である」という話が中心でした。
しかし、今の「終活」は目に見える動産不動産関係の財産の話ばかり。
法律でも「祭祀財産」と言って仏壇やお墓を大切にし、それを継承していくことが書かれているのにそちらのことは「仏ほっとけ、神かまうな」的なことでないがしろにされることがほとんど。

自分の死を持って子や孫や子孫に伝えなくてはいけない大切なことを伝えようとせずに「死んだら焼いてくれたらいい」などとの暴言を平気で言える高齢者が多数存在する世の中になってしまいました。
どうやって大人になってきて、どうやって子供を育ててきたのか?と疑いたくなるような話があちこちから飛び出す現在の終活。
これではこの先の日本が心配でなりません。

目に見えるもの、形にとらわれていると大きなものが見えないことがあります。
たとえばこの季節によくある台風が来たとき。その風や波などについては天気予報でいろいろと教えてくれますが、大きな海や目には見えない大気の存在にまで思いをはせることが必要となってきます。ある供養業界のコンサルさんがよくいう「木を見て森を見ず」という言葉は実は現代人の生き方そのものなのかもしれません。

目には見えないものを信じない人もいるでしょう。しかしそれが「ないものだ」と扱うことが一番危険なことであると考えていただきたいと思います。
とりあえず親や先祖に感謝するためにもお墓参りの日前後に一度お墓参りに行かれる予定を組んでみることをお勧めいたします。

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