私たちが子供のころにあったお店で今はもう見ることがないお店とか、どんどんとやめてしまうお店が実に多いこと。
牛乳屋さんなんかはほとんどが早いうちに「紙パックにやられて」廃業することが多かったですね。「紙パックやられて」というのは、自分たちが重いビンを運ばずにすむように軽量化を計って紙パックを導入したためにスーパーでも販売が可能になり、牛乳配達の必要が無くなったわけです。
それ以前には下駄屋さん。靴の普及があったころには下駄屋さんは「靴の不買運動」をしたりしましたが全くの無駄でした。
そんな古い話から今では本屋さんや文房具屋さんなどがどんどんと閉店して行ってしまっています。これはインターネットでモノが買える時代になってしまったからでしょう。ギフト屋さんが地域一番店くらいしか残っていません。これはいろんな儀礼や記念日などを日本人の感覚が大きく変化したものだと考えられます。
平成に入ったころ、
「インターネットっていったい何者や?」
「なんか秘密の暗号があるらしいけどその暗号をゲットしたぞhttp://www.・・・・」
「なんか川越(四日市の隣町)に行ったらそれがみれるとこがあるらしい」
「インターネット上にお店を出すってどういうことやろう?」
そんな話をしていたことがまるで嘘のようです。
こうしてインターネットの普及ひとつとってもそれによって時代は大きく変化してきています。
それから考えれば葬祭業界は変化が少なかった業界と言ってもいいでしょう。
私のような明治生まれの祖父に育てられた昭和頭の一本気な人間が今でも通用する業界なんですから・・・。
そんな葬祭業界にも大きな変革の時が来ていると言われてもう10年近くになります。社会のニーズの変化をマーケティングでどうこうしようなどと工夫されている葬儀社さんやコンサルの先生方もたくさんいます。
またすでに廃業した葬儀社があったり、M&Aみたいに合併したりしている葬儀社もあります。
結論から言えば私は「そんな小手先のことで対応できるはずがない」と考えていましたのでこの5年間はほとんど動きを止めていました。
しかしここ数か月はちょっと動きをはじめてみよう、3年かけて方向をまとめてみようとしています。60歳の還暦を迎えたころに次の大きな一歩を踏み出すために。
ヒントは「葬儀と大衆」や「葬祭業の成り立ち」のところにあるとみています。
そして大きな課題はやはり「魂の存在」でしょうね。
これが一番の問題です。
そして「令和の時代は魂の時代」と勝手に位置づけています。
葬儀供養・超高齢社会・デスケアの過去・現在・未来を読み解くコラム
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